薩摩川内のおとなり、いちき串木野市。港町として栄えてきたいちき串木野には、外とつながり、新しいものを受け入れてきた開放的で温かい土地柄を感じます。いちき串木野総合観光案内所に勤務する、西郷どんのそっくりさん「たけどん」こと竹原勇輝さんのナビゲートで、あちこち行ってきました!珈琲編、人情編に続く第3弾は、照島海岸です。
いちき串木野を巡る旅・照島の光編 朱塗りの渡り橋がまばゆい照島神社
例年、春の風物詩として照島海岸で開催されている串木野浜競馬大会。海岸をポニーやサラブレッドが駆け抜ける姿は、時にユーモラス、時に勇壮で、長年いちき串木野の皆さんに親しまれています。2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、残念ながら開催見送りとなりました。
お弁当を手に、子どもの運動会を見に行くように家族連れでにぎわう浜競馬。ばふ~ん饅頭や地ビール・地酒、いちき串木野名産のかんきつ類販売など出店も豊富で、一日楽しめるお祭りです。
照島海岸も、オフシーズンは静かなもの。犬の散歩やランニングする人を時折見かけます。
海岸の端に見える小島は照島神社です。思い立ったが吉日、行ってみましょう!
町なかにドンと現れる鳥居。港町らしい鮮やかさ。
遠目からもはっきりとわかる渡り橋を歩いて、神社へと向かいます。
潮のすぐそばに建つ鳥居をくぐり
階段を上がっていきます。
神社につきものの狛犬。たけどん先生の説明では、照島神社の狛犬はなんと「猫」なんだそう。地元では唐ねこさん、と呼んでいるそうです。
正面に進むと、海の見える場所に馬頭観音があります。馬蹄と馬の像が納めてありました。神社は階段を上って右手にあります。
無事参拝を終えると、たけどんが「この奥に、島津の殿様がいいね~!といった景色があるんだけど行きもすか?」とのこと。それは行かないと!神社から海の方へと進みます。
東シナ海が眼の前にひろがり、足もとでは荒波が岸壁に打ち寄せます。なんともダイナミック!
時は寛政2年(1790)3月。島津家26代藩主島津斉宣(しまづ・なりのぶ)公が市来に湯治の際、風光明媚な場所だと聞いて、照島に遊びに来ました。斉宣は斉彬の祖父にあたる人です。素晴らしい景色を眺めながら、ふと足を止め男池の上の巨厳に目を留めた斉宣。その岩の形が、這い上がった龍が玉を抱いてうずくまっている姿に見えたのだそう。斉宣公はその場で侍医・川村宗胆を振り向かせ、背後にあった巨岩に驪龍巌(りりょうがん)と書かせたのだそうです。
その石がこちら。左から順に、巌龍驪、とあります。
今では写真に残すところを、当時は文字を残すことによって、心に景色を刻んだのでしょうか。島津の殿様が思わずテンション上がるほどの景色が、照島にはあります!
照島から徐福伝説の冠岳を望む
照島はまた、徐福の上陸の地、薩摩焼開祖の地でもあります。海の向こうから照島の光に導かれて、この地にやって来たのでしょう。
浜競馬を思い海岸を散策したら、照島神社、そして驪龍厳までその目で確かめてみてください。小さな照島に、港町いちき串木野の歴史と風景のロマンが詰まっています。