歌人・作家として大正から昭和戦後まで活躍した郷土ゆかりの作家、萬造寺齊(まんぞうじ・ひとし)※リンク先:川内まごころ文学館
萬造寺齊は現在のいちき串木野市羽島に生まれ、旧制川内中学校に学び、東京帝国大学英文科に入学。与謝野寛(鉄幹)に師事し、三冊の歌集と一冊の小説を上梓しています。2017年7月9日、奇しくも没後60年の命日に氏の活躍を顕彰する「萬造寺齊シンポジウム~羽島に生まれ、与謝野鉄幹とともに歩んだ歌人~」が開催されました。
齊の望郷歌三首にメロディをつけた歌。羽島婦人部会コーラスグループ「コールあじさい」による歌唱で幕を開けます。
実行委員長の川口勝則さん。羽島地区の盛り上げ役として様々なイベントに奔走されています。
与謝野鉄幹(寛)・晶子夫妻と齊。与謝野夫婦は改造社を創設した薩摩川内市出身・山本實彦の招きにより鹿児島を訪れました。※リンク先:川内まごころ文学館
三嶽公子氏(月の舟自由大学学長)と萬造寺齊氏の五女・万造寺ようこ氏によるトークセッション。ようこ氏は京都の生まれ。終戦後まもなく父母姉妹と羽島に暮らしました。羽島小学校の卒業時には、父・齊が京都から来賓としてやってきたとのこと。「180センチを超える長身で細身、ひとり登山に熱中していました」と父・齊の思い出を語ってくださいました。また三嶽さんはいちき串木野市の出身。「羽島は頭の良い人が出るところ」と地元では言われていたそうです。
羽島南方神社太鼓踊り。保存会の若い方たちにより披露されました。
1921年(大正10年)から、鹿児島新聞(現在の南日本新聞)にて連載された小説「緑の国へ」。齊の母校、県立川内高校の教諭・生徒が浄書に協力しました。齊は夏目漱石より20年ほど後の生まれですが、英文学を修めたのち愛媛に教職を得て赴任(西条中学校)、教職体験を基に小説を書くなど、漱石との共通点が見られます。「作品の完成度では、漱石の『三四郎』や鴎外の『青年』につぐものがある」等、評価されています(愛媛新聞・平成七年九月十三日紙面)
創刊まもないころの雑誌「明星」
齊の歌碑が、羽島の薩摩藩英国留学生記念館からほど近くにあります。
羽島に生まれ、川内に学んだ文人。ぜひ訪れてみてください。
万造寺斉:生誕の地
※リンク先:いちき串木野市総合観光ガイド
羽島沖を臨む(薩摩藩英国留学生記念会館内)