鹿児島県薩摩川内市のコミュニティ放送局

女子マラソン黎明期に輝いたランナー、外園イチ子さん(2)

ウインタースポーツの華として、駅伝、マラソンと、男女ともに多くの大会が開催されている現在。しかし、ほんの50年前は女性が長距離を走ること自体、珍しいことだった。そんな時代に、この川内の地に生まれ育ち、「走る女性」の先駆けとなった人がいる。外園イチ子さん。1978年、日本で初めて開催された女性だけのフルマラソン大会「多摩湖女子マラソン大会」の記念すべき初優勝者である。※女子マラソン黎明期に輝いたランナー、外園イチ子さん(1)からの続きです。

雑誌「園児のお母さん」に「走るお母さん」として登場

男性に交じり走るイチ子さん(写真右から2人目)

かつて男性のみの大会であった名門ボストンマラソンに、女性の参加が正式に認められたのが1972年。それから数年後の78年、日本でも初の女性のみのフルマラソン「多摩湖女子マラソン大会」が開催されることになる。女性ランナーとして活躍していたイチ子さんにも声が掛かった。79名のランナーが参加するなか、見事トップでゴールテープを切ったイチ子さん。当時をこう振り返る。

バイクに先導されトップを走るイチ子さん(中央)

「多摩湖畔はちょうど桜の季節で、お花見の人でにぎわうなかを夢中で走りました。当時は給水や食事補給などもなく、ゴールした時はもう、おなかがすいた!というのが正直な感想」と笑う。運営本部に設置されたお風呂に浸かると、全身の力が抜けて動けなくなってしまったという。文字通り、渾身の走りだった。

自身初のフルマラソンを走り切り、3時間10分48秒という記録を残す。ここに日本の女子マラソンが始まったといっても過言ではないだろう。イチ子さんはこの優勝以降、丹波篠山レディースマラソン、志賀高原やまびこマラソン等、日本のレースのみならず、イギリス、ドイツと海外のレースにも参加。日本を代表する女性ランナーとして、その走りに磨きをかけていった。

多くの大会に参加し、当時を代表するランナーとの交流も

1953年ボストンマラソンの優勝者、山田敬蔵さんと(写真中央・右がイチ子さん)

このころには日本各地で開催されるフルマラソンの大会に、男子ランナーに交じり、女子ランナーが受け入れ始められるようになっていた。「多摩湖女子マラソン」でのイチ子さんの完走、そして大会の成功が口火を切ったことは間違いない。一例として、1979年、第28回別府大分毎日マラソンに、小幡キヨ子が女性では大会史上初めての出場し、2時間48分52秒で完走している。当初、九州陸協は女性の参加に難色を示していたそうだが、小幡の熱意に押されて承諾したという経緯があった。このような女性ランナーを取り巻く熱はやがて、第一回東京国際女子マラソンの実現へとつながっていく。

SNSでフォローする
関連記事