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神々の代をめぐる旅(2)三つの御陵

初代神武天皇に連なる三代の御陵がある鹿児島県。ニニギノミコトをまつる可愛山陵の薩摩川内市から出発して、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会った南さつま市笠沙に「笠狭宮」を訪ねました。次に一行が向かったのは、南さつま市加世田宮原。ここに800年以上の歴史をもつ竹屋(たかや)神社があります。2018年9月、新たに「焼酎神」を加える神事があり、県内の蔵元代表者ら約200人が集まったことでも話題となりました。

神々の代をめぐる旅(1)にて触れたように、ニニギノミコトと一夜を共にし身ごもったコノハナサクヤヒメ。ニニギノミコトの疑いを晴らすため、コノハナサクヤヒメは産屋に火を放ち、炎に包まれるなかで三人の皇子を出産しました。

「この神話のエピソードは、焼酎づくりの過程とかさなる」として鹿児島大学で焼酎製造の教鞭を取る鮫島吉廣教授(写真)らが提案し、竹屋神社に「焼酎神」が加えられることになったのだそうです。焼酎を神にまつる神社は全国唯一とのこと。

神社内には、「磐境(イワサカ)」と呼ばれる亀形の大きな岩があり、ヤマサチヒコ(ヒコホホデミノミコト)の御陵跡とも伝えられています。パワースポットとして人気なんだとか。

特任ガイドのお二人、夕食の席ではごったんの演奏で「焼酎の神祭り甚句」を披露。テーブルでは「なんこ」大会も。焼酎神社に参拝したおかげか、皆さん「よか晩」になったようです。

翌日、一行は陸路鹿屋へ。桜島を望みつつ高速道路を走り、到着したのは「吾平山上陵」。ニニギノミコトの子ヤマサチヒコとトヨタマヒメのあいだに生まれたウガヤフキアエズノミコトの御陵です。

ウガヤフキアエアズノミコトは、ニニギノミコトの孫、初代神武天皇の父にあたる人です。吾平山上陵は、全国でも珍しい岩屋の陵。山陵までの参道は緑に包まれ、川のせせらぎも美しく、神々しい雰囲気を醸し出しています。伊勢神宮に雰囲気が似ていることから「小伊勢」とも呼ばれ、初詣や桜の季節には大勢の参拝客でにぎわいます。

苔むす緑が美しい石橋

12月初旬。紅葉を楽しめました。

清流で手をすすぎ、お参りに向かいます。

この先の川を渡った奥に、岩屋があります。一般客はその手前で参拝します。

高い木立ちが荘厳な雰囲気を醸し出す

小伊勢と呼ばれるのも納得。春には桜の名所となります。鹿児島県にお住まいなら、一度は訪れてみる価値のある素敵な場所です!

吾平物産館「つわぶき」にて昼食です。名物・落花生を使ったピーナッツ豆腐や特製味噌煮込みうどんでひと息。

三山陵めぐりもいよいよ大詰め。鹿屋から鹿児島空港方面に向かい、霧島にある「高屋山上陵」に到着しました。

こちらも鬱蒼とした森に包まれています

山の中腹まで続く階段を登ると

山陵が現れました。ニニギノミコトの子、ヤマサチヒコ(ヒコホホデミノミコト)の御陵とされています。鹿児島空港からさつま町~薩摩川内市に至る道路の途中にあります。薩摩川内市から鹿児島空港の行き帰り、お時間のある時に立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。

さて、三山陵めぐりも我らがホーム、新田神社へと戻って参りました。

神社にお祈りしたのち

社殿の右手奥にある可愛山陵へ

2日間の神話をめぐる旅の終着地点となった「可愛山陵」。ニニギノミコトの御陵と伝えられます。天照大伸(アマテラスオオミカミ)が孫にあたるニニギノミコトに地上の世界を治めるよう命じたといわれます。ニニギノミコトは与えられた稲穂を携えて、高千穂の峰(霧島)に降りてきた・・・これが天孫降臨の物語。そこで初めてお米をつくったあと、南さつま市の笠沙に移り、コノハナサクヤヒメとの間に三人の皇子が生まれ、その後、東シナ海を北上し、ここ薩摩川内市にきたといわれています。

川内に着いたニニギノミコトは、この地に立派な高殿(うてな・千台)を築いて住んだといいます。「川内」の語源は、この「千台」に由来するともいわれます。ざっと駆け足ではありますが、一泊二日の三山陵+笠沙宮めぐる旅を振り返りました。移動の車中にて、古事記・日本書紀の話を楽しく聞きつつ、訪れた先で実際に見聞きすることで、知識と体験がすっとつながる旅となりました。2020年は「日本書紀」編纂から1300年の年となります。まずは身近な可愛山陵から、日本のルーツをめぐる旅へとお出かけしてみてはいかがでしょうか。

取材協力:可愛山陵奉迎準備委員会、日本遺産登録準備委員会
参照資料:吾平山上陵リーフレット、新田神社のおはなし他