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神々の代をめぐる旅(1)川内から南へ

薩摩川内市民にとって初詣や合格祈願、散策などでも親しまれている新田神社。神亀山(高さ70メートル)の小高い山の上にあり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)をまつる薩摩国一の宮です。同神社の宝物殿に収められている鏡(銅鏡)を子どもたちが磨き、健やかな成長を祈る夏の行事「御神鏡清祭(みかがみすましさい)」など、古来より続く伝統行事は薩摩川内市の四季を彩ります。社殿は年間を通して深い緑に包まれ、祈りの場にふさわしい静謐な空気が漂います。

このようになじみ深い新田神社ですが、その奥に控える瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の御陵「可愛山陵」はご存知でしょうか。この可愛山陵は、霧島市の「高屋山上陵」、鹿屋市の「吾平山上陵」とあわせて、神代(かみよ、またはじんだい)三山陵と呼ばれています。神話・天孫降臨のニニギノミコト、ヤマサチヒコ、ウガヤフキアエズノミコトを経て、初代・神武天皇につながる三代の御陵のことで、すべて鹿児島県内にあります。それぞれの御陵の所在地については諸説あったようですが、この三か所が明治七年、明治天皇による御裁可により認定され、現在に至るまで宮内庁により管理されています。

古事記・日本書紀の世界。ニニギノミコト、コノハナサクヤヒメ、海幸彦山幸彦…聞いたことはあるけれど、そもそもどういう話?という方もなかにはいらっしゃるのでは。神話に伝えられる「日本の始まり」、その足跡を訪ねる「神代三山陵ツアー」に参加しました。

金峰山を背に立つコノハナサクヤヒメ像

薩摩川内市を出発し、南さつま市金峰町「道の駅・きんぽう木花館」へ。ここにニニギノミコトの妃、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の銅像があります。日向高千穂に天から降り立ったニニギノミコトは、南さつま市の笠沙沖でコノハナサクヤヒメと出会い、その美しさに惹かれて求婚したそうです。コノハナサクヤヒメは一夜にして身ごもるものの、ニニギノミコトから「それは本当に俺の子か?」と疑いをかけられてしまいます。。

そこでコノハナサクヤヒメが取った行動とは?!・・・というような話を移動の車中で楽しく話してくださるのが、今回のツアー特任ガイド、タレントの中島リカさん(写真)とちゃんサネさんです。お二人は古事記・日本書紀の語り部として、やまと言葉の音の意味、古事記原文の朗読など、本格的な学術ガイドを交えつつ、現代になぞらえて分かりやすく、楽しく、神話の世界に導いていきます。

コノハナサクヤヒメゆかりの地「阿多」にちなみ、古事記では「神阿多都比売(カムアタツヒメ)」となっている

車中で聞いた説明をおさらい

一行は、さつま路をさらに南へ。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会った笠沙沖。神々しさを感じる光が広がります。かつて鑑真もたどり着いた地です。

笠沙沖を眼下に眺める見晴らしの良い場所に「宮の山」はあります。ニニギノミコトはここを気に入り、住居を構えたといわれます。

道中、笠沙の海の幸をランチで楽しみ、

「丁子屋の歴史は加世田の歴史」ともいわれるほどの老舗「丁子屋」にて買い物も楽しみながら、

次に到着したのが「日本発祥の地」石碑のある、舞敷野(もしきの)・笠狭宮。コノハナサクヤヒメを祀ってあります。

ふもとにある説明を読んで、階段を登っていきます。

普段は訪れる人も少なくひっそりとしています。あたりに心地よい「気」を感じる、という人も。

「笠狭宮石碑」

紅葉を後に次の目的地「竹屋神社」に向かいます。